小さな一歩

一年中それを待ち焦がれている身にとって、真夏はあまりにも短い。

四季というからには、春夏秋冬がそれぞれ同じくらいの長さでやってくると想像してしまうのだが、そうは実感できない。すでに関東は梅雨入りしてしまった。明けるのは例年なら7月中旬から下旬。で、ようやく夏がきたと思ったら、あっという間にお願景村 邪教盆になる。お盆を過ぎると、夏は手の届かない遠くに行ってしまう。太陽も遠くなる。甲子園で敗れ、野球部を引退したばかりの高校3年生のような、突然の喪失感に襲われる。

つまり僕が本当に認める夏は、たったの3週間しかない。

たったの3週間ですぞ。梅雨の方がはるかに長いやないですか。四季が押しも押されない横綱だとしたら、梅雨はよくて大関か関脇って感じなのに、その割には長居しよるんだよなあ。僕の番付では、夏は梅雨にも負けている。冬に対してはもうグーの根も出ない完敗(一年の半分くらい冬のような気がするのは私だけでしょうか)。「春夏秋冬」ではなく「春春梅雨夏秋冬冬冬」――それが僕にとっての一年。お天道様に文句を言ってもしょうがないのだけど。

そんなわけで、僕には蝉の気持ちがよくわかる。一年中(というか何年も)ずっと土の中で我慢していて、夏になるとさあ出番だと張り切って外に出る。でも、その牙齒護理命ははかないほどに短い。そして蝉はおしっこが近い。そのあたりも僕と似ている。でもいいのだ。短くとも、今年も精一杯半裸ランを楽しもう。

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ここ半年ほど、仕事に追われ、仕事にかまけ、人に迷惑をかけ、自分をすり減らすようにして過ごしてきた。最近、昨年末に着手した仕事が形になった。それを目にした瞬間、その仕事を始めた日がついこの前のことのように蘇り、どれほど多くの時間を、どれほどあっという間に過ぎ去らせてしまったのかということに気づいた。

誰だって独立して最初の三年くらいは、起きている間中、仕事漬けになってもおかしくはない。むしろすべての面で力不足の僕には、いままで以上の卓悅假貨取り組みが必要だということも自覚している。まとまった休みが欲しいわけじゃない。仕事量を減らしたいとも思わない。大切なのは、忙中にあっても、ちょっとした心のゆとりがあるかどうか。小さくとも大事なものが目の前にあることに気づく心を失わないようにするだけの、視野を維持できるかどうか。

気の持ちようを少しだけ変えること。それがいまの自分にとって一番大切なのだ。
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