時のみぞ知る

シーラカンス的なあくまでも人間目線でいうとぶさいくな魚を水辺で両手で掴み、日焼けした一人の生物学者がカメラに向かい興奮気味に彼独自の進化論を語っていた。
水際で生き延びたこの魚に手足が生え、それがハ虫類になり、そこから小動物に進化し、その中から大きすぎず小さすぎない一種が木に登り二足でピョンピョンできる猿になり、さらには人間になった、と要約すればそんな感じのどこかで聞いたことあるような説だった。
 
ダーウィンが150年ほど前、旅先でころがる動物の骨を見つめているうちに、長らく根付いていた創世記とはかなり異なる私たちの起源を悟りそれを進化論として発表した。以来、彼の名前は生物学において絶対君臨の地位を保ってきた。
それでもいまだ、ダーウィンに追いつけ追い越せやっている学者は絶えないようだ。

そんな野心のまったくない私は、人間がある日どっか宇宙からやって来たのだと思っている。
信じるというほどではないけれど、消去法でいけばまあそうするのが妥当かと。
人間はこの緑と水のある星に降り立ち、豊かに平和に暮らしているうちに一部進化して、他の種に枝分かれしていったのではないか、と。
 
つまり、こんな図を思い浮かべてみたわけだ。
一部の考えて行動しない無関心で怠惰な人間が手の器用さを失い言語を失い家を建てられなくなって木の上に住むようになり、またその中の一部は地上で石陰や掘った穴の中で暮らし必然と体の小さなものが生きのび、その一部は水に半身浸かりながらなんとなく日々を送っているうちに重力の小さい水中での暮らしの方が楽なことに気づき体は鱗で覆われ短くなった手足の残存がヒレと化し、ブクブク、ブクブク、ずんずん深い海の底へ沈んでいきましたとさ。
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