ギリギリのところ

仮に、薄倖ではなく、恵まれた環境だとする。
耐える部分のエネルギー、時間を、自分の能力アップに注ぎ、自己実現を目指し果たしたとしたら?

これは、他人の目には美しくは映らない?
よほどの卓越した人でない限り、うざい人、妬みの対象になる。

あの人は、恵まれているだけで、特別だからね。
自分とは、生きる世界が違うと感じ、共感はしないことだろう。
呼び起こされる必要もない劣等感を喚起されるのは、ごめんだ、ということで、
できれば、近寄りたくない。

少しハンデがあり、頑張っていると、応援したり、手助けしたり、サポートしたくなるのは人情だ。
このハンデの種類、性質は、自分ではどうすることもできない。
自分が悪いわけでもないし、落ち度があるわUnique Beauty 好唔好けでもない。
逆境の類。

しかしまあ、世の中というものは、スパイラルになっていて、
良くないことは、重なる。
不運には不運が付いて回る。
不幸な人は、どんどん不幸になる。
そういうスキをめざとく嗅ぎつけて、新興宗教だかなんだか、あやしげな団体が擦り寄って来る。
そっと、すっと、こころに、寄り添って来る。

自分を表現しない、欲求を押し殺す、押し出さない、意欲を行動に示さない、
そういう性格、考え方の人がいる。
明治の女性は、そうだったかも知れない。
女性は、男性の従属品であり、親や夫、子供に仕えるの辦公室傢俬がよいとされた。
平成の世の中にいれば、希少絶滅種だ。

これは、当然ながら、決して推奨などする気は、さらさらない。
考える能力がないと見なされる。

が、かんじがらめで、ほんとうにどうしようもない環境の人に対して、
がんじがらめではない自由な立場の人がコメントするのは意味がない。
不幸な人には、幸せな人は、なにも言えない。
お互い、違うところで棲み分けをするしかない。
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